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史実

アロイジア・ランゲ

モーツァルトの妻コンスタンツェ・ウェーバーの姉。 17歳の時にモーツァルト(21歳)に出会い、その類い稀な才能と美貌でモーツァルトを魅了する。 熱烈なアプローチをしてくるモーツァルト(無職)を「無職の男に用はない」と一刀両断。 母を失いアロイジアとの結婚だけが希望の光だった男心を絶望の淵に追いやった。

 

当時から家族を支えるために教会で歌手として働いており、モーツァルトからも多くのアリアを贈られる。 20歳でウィーンの宮廷画家ヨーゼフ・ランゲと結婚し不自由なく暮らしていたが、その結婚生活も15年後には終わっていた。

 

モーツァルトの死後、アロイジアは「モーツァルトの愛を拒んだことを悔やんでいる」と語ったといわれている。 

チューリップ

公演ビジュアルで用いられているチューリップの花。オランダが有名だが、実はヨーロッパで最初に栽培されたのはモーツァルトが生きたウィーンであったそう。

 

1554年、オスマン帝国からウィーンに球根と種子がもたらされたとされる。そののちチューリップ球根はすぐに他国に広がっていき、やがて今も語られるチューリップバブルを巻き起こしたという。

コンスタンツェ

​モーツァルトの妻であり、アロイジアの妹。今作においては、浮気性な夫ランゲとの暮らしを抜け出してきたアロイジアと豪雪で家に帰れなくなってしまったベーズレのふたりに、亡き夫と暮らしたウィーンの部屋で過ごすよう伝える。

ベーズレ
(本名:アンナ・マリア・テークラ・モーツァルト)

モーツァルトの従妹。 幼い頃からの遊び相手であるモーツァルトとはとてもウマが合い、互いに気の置けない間柄だった。

 

モーツァルトとは彼が旅行の際に立ち寄ったアウグスブルクで再会(当時:ベーズレ19歳、モーツァルト21歳)。 わずか2週間ほどの滞在だったが、一緒に酒を飲んでは神父をからかい、下品な歌を歌い、子供の頃と変わらずふざけ合っていた。

 

モーツァルトから生涯にわたって大量の手紙を受け取っており、それらは「ベーズレ書簡」としてまとめられている。 

ウィーンの冬

劇中でベーズレが遭遇したという嵐。実際のウィーンも、近年の冬の最高気温は5度~0度、最低気温は0度〜マイナス8度前後とかなり気温が低い。

 

11月から3月ごろまでは冬に当たり、風が強いほか場所によっては豪雪となるとても厳しい季節。

​モーツァルトの家

本作の舞台であるモーツァルトが最期を迎えたとされる家は、実在はしたものの現存していない。
 
現在はシュテッフェルという名のデパートになっているが、かつては「Kleines Kaiserhaus」=「小さな皇帝の家」と呼ばれていたそう。

 

モーツァルトの死

1791年12月5日 0時55分。

死の間際に側にいたのは妻コンスタンツェと彼女の妹ゾフィー。

病に身を侵されつつありながら《魔笛》の公演を大成功させたモーツァルトのもとに、ある不気味な客から匿名の作曲依頼を受ける。
それが『レクイエム』。


彼はレクイエムを作曲しながら、だんだんと体調を悪化させついには寝込むようになる。
あの依頼者はきっと死神だったのだ。この曲は自分のためのレクイエム(鎮魂歌)なのだ。とモーツァルトは語ったという。(現在では、この依頼者の身元は判明している)

 

レクイエムは彼の存命中に完成させることができず、続きを弟子のジェスマイヤーが引き継ぎ完成させた。

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